横浜バンコク青年交流と私達の活動



青年の手による海外研修
私達は1973年以来、若者たちの手による手づくりの海外研修を企画、実施して行ってきた。
横浜の姉妹都市やアジアの各都市を訪問,現地の青年たちと様々な交流活動を行い友情のきずなを深め,継続的な交流のきっかけづくりを行ってきた。
そして参加した仲間たちを中心に,国際理解のための学習や,在日外国青年との交流,横浜へ来る海外からの青年の受入れと幅広い活動を展開してきた。

タイの青年たちとの出会い
第2回(1974年)の海外研修で私達はバンコクを訪問した。
バンコクでは日本語を学ぶ学生たちとの交流は熱のこもった印象深いものとなり盛会に終えることができた。
それが契機となってその後文通やタイの青年を横浜へ迎えたり,横浜からも何度か青年代表団を送るなど様々な活動を通してタイの青年たちと交流を図り友情を育ててきた。

バンコクでの活動が生まれる
タイにおいても1977年,私達と同じようなボランテイアの青年たちによる「タイ日親善クラプ」が結成された。
私達横浜の青年たちの海外派遣での現地の受入活動はもちろんのこと, 神奈川県や愛知県などの青年たちの受入れやタイの日本人学校との交流や学習会など,タイ日のかけ橋になろうという熱意のもと幅広い活動がたくさんの青年たちと共に展開されている。

横浜パンコク青年交流
今までの様々な交流活動に加えて,私達はさらにタイの青年たちとの交流を深めより幅広い青年たちの交流に発展させようと,横浜市政100年記念の「横浜博覧会」に参加をかねて25名の青年を横浜に招いた。 横浜市をはじめとする各関係方面の協カを得て「横浜・バンコク青年交流'89」を実施した。
横浜を中心に8日間の期間中多くのボランティアの青年たちが活躍した。たくさんの横浜の青年たちが多彩なプログラムに参加してタイの青年たちとの交流を図った。

これを契機に両国で
横浜からも青年代表団がたちがタイを訪問,バンコクにおいてタイのボランティアの青年たちの協カを得て「横浜バンコク青年交流」を実施している。両国で行われるこの交流プログ ラムには現地のたくさんの青年たちが参加、さまざま交流活動を通してお互いの理解と交 流が大きな広がりを見せている。

新たな活動の萌芽
日本から参加した青年は、参加を契機に日本とアジアの関係、タイの生活や文化に触れ 出会った青年たちと連絡を取り合いを取り合い、あるいは現地を訪問したり友情を深めて いる。
さらにタイについて興味をもち理解を深めようと集まり,学びあったりするグルー プやタイの現代の音楽のバンドをつくり、毎年東京で行われるタイフェステバルでおなじ みになるなど活動が広がっている。
さらにNPOなどの国際協力の活動に参加する青年た ちも数多く生まれている。
タイの青年たちからもこのプログラムに参加して,日本に対する理解が深まり日本が好 きになったという声をたくさん聞いている。
また、現地の日本企業に勤めたり、日本に留 学したりする若者もいる。ホームスティでお世話になった家族たちとの交流も続いている。
私達の活動はそれぞれの青年たちの交流のきっかけづくりにすぎないが,このような青 年たちから新たな活動の萌芽となるような動きがさらにたくさん出てくるよう期待している。

横浜バンコク交流30年
2004年にはタイの青年たちとの交流活動30年を迎えた。これを記念してさらに活 動の輪を広げようと「横浜バンコク青年交流」の期間中「30周年記念交流会」を開催し た。
8月にタイ、バンコクで、11月に横浜で開催したこの交流会には今までこのプルグ ラムに参加した両国の関係者もたくさん参加、30年続いた交流活動を振り返り、今後の 交流活動の発展を誓い合った。

今後にむけて
私達は長い間かけて築き上げてきたタイの青年たちとの友情のきずながより強固なもの となり,広がっていくことを願っている。
タイと日本との関係も深まり、旅行者も増加、日本でもタイ料理店がたくさんできるな どタイが身近に感じられるようになってきた。タイにおいてこのプログラムの参加希望者も多く,横浜においても興味をもつ青年たちがたくさんいる。 両国の若者たちが率直に語り合い交流する意味は大きく学びあうこともたくさんある。
国際交流の担い手になるきっかけづくりにすぎないかもしれないが、今までこのプログラムの果たしてきた役割は参加したのを契機に活動する若者たちを見るにつけ大きいといえる。
 このプログラムは当初から民間の草の根の交流から生まれ、人と人との信頼関係により継続されてきた。
それだけにお互い心のこもった交流が感動と共感を呼んでいる。 ボランティアの若者たちによるこのプログラムのかもし出すよさを生かしながら、両国の青年たちの相互理解の輪がさらに広がっていくよう期待して今後の活動を展開していきたい。

「横浜バンコク青年交流」参加のタイからの代表団員たち





「横浜バンコク青年交流」横浜からの派遣


 



もっとアジアに目を向けて
(参加報告書より)

大 掛 亜希子


 タイ・バンコク−そこはとても興味深い所だった。この研修に参加する前,タイについて最低限のことは知っておこうと思いタイについて書かれたいくつかの本を読んでみた。
王室が大きな力を持っていたり,軍部がたびたび政権を握るのにもかかわらず政治は比較的安定していたり,熱心な仏教の国でありながら他の宗教に対し弾圧を加えることもなく宗教の自由が確立されている。 それらの本を読んで,タイは不思議な国であると思った。
タイは私が想像できるどんな国とも違うなにかがあるように感じ,タイに行くことが楽しみになった。
 タイに着いてタイの人達と共に行動して,この期待が裏切られることはなかった。夜のシーロームやパッボンの雑踏,屋台での食事,交通渋滞,車の排気ガス,タイの人達のバスの乗り方,道の渡り方,乗り込めるなら何人でも乗るというタクシーやトゥクトゥクの乗り方……。
バンコクの街すべてがエネルギッシュで,私にとって刺激的であった。  こんなに毎日楽しい思いができたのもすべてタイの人達のお陰である。彼らはなにからなにまでお世話をしてくれて,お金もすべて払ってくれた。彼らにははじめは申し訳ないと思いもしたが,彼らのもてなそうという気持ちも理解できたし,そんな彼らの気持ちが嬉しかった。
 彼らと一緒にいるうちに彼らは勤勉で努力家,そして親孝行であり,私も見習うべき点が多く,本当に頭が下がるような気がした。そして彼らは本当に日本が好きなのだと感じた。よく日本のことを知っているし,常に日本語を上達させようと努力している。それに比べー般的な日本人はどうだろうか。私も含めてアジアに対する認識は欧米に対する認識と比べてひくい人も少なくない。彼らを通して,日本人ももっと東南アジアに目を向け自分達もアジアの一員であるということをもっと意識するべきであると感じた。
 この研修を通して私は新たな価値観を持つことが出来,視野もまた少し広がったと思う。そして国際交流において最も大切なのは心の触れ合いであり,お互いを理解し合うことであると感じた。そして相手の国の人を理解するには日本人の価値観で判断してはならない。
その国にはその国の価値観や物の考え方があるのだとも思った。バンコクのような大都会なら,しようと思えば日本での価値観のまま日本と代わらない生活をすることができるだろう。高級なホテルに泊まって,グルメな食事をして,それもそれなりに楽しい旅行に達いない。しかし,それではただ周りの景色や環境がいつもと達うというだけであり,その国を本当に理解したとは言えないのではないだろうか。
 タイでの5日間はあっという間に過ぎてしまい,相手の国をどれだけ理解できたかは分からない。しかし少しであったが彼らの生活を垣間見ることができ,こんなに多くの同じぐらいの年の人たちが日本に対して関心を持っているのだということを知ることができたことは私にとって大きな収穫であったと思う。そしてバンコクでたくさんのタイの人と出会い,共に行動し,友達になったことは最高の思い出である。この研修で出会った彼らの笑顔,そして彼らの親切を私は決して忘れないだろう。そしてまたいつの日か彼らと再会できることを願っている。
 最後にこの研修に参加した皆さん,楽しい思い出をありがとう。また会いましょうね。




横浜の青年たちを迎えて
(参加報告書より)

ウィタット ウイサワコーンウィシット

 私たち,タイ日親善クラプは22名の横浜青年をバンコクに迎え,「バンコク・横浜青年交流95」を開催することができましたことは,大変光栄に思っております。
 横浜との青年交流は,当クラプが発足する前の1974年から始まり,今なお良い閑係のもとに毎年青年交流が続けられるのは,浅井団長を始めとして,横浜の皆さんがタイのことを勉強・理解されておられるおかげだと思います。私達は横浜の青年の皆様にもっともっとタイを知っていただきたいと思い,特に日本との関係が深いカンチャナプリの訪問やホームステイを計画しました。もっと時間がありましたら,いろいろと案内したい所がありましたが,皆さんも知っての通りバンコクの交通事情がものすごく悪いため,団体での行動を最小限に抑え,各自の自由な青年交流を多く取るようにいたしました。何分メンバーの手作りプログラムでありますので行き届かない点や不手際が多数ありましたことをお詫びいたします。
 青年交流パーティーでは横浜の皆様にたくさんの日本文化を紹介していただきましてありがとうございました。まだ日本にいったことがないメンバーにとって日本を理解するには大変勉強になったと思います。そして,日本を好きになってくれたことだろうと思います。
 振り返り見ますれば,今回の受入れには私どものメンバーにも力が入り,当クラプの参加人数も今までになく多く,私としましてはメンバーの把握やスタッフとの打合せに時間を費やしまして,横浜の皆さんには十分な交流を提供できなくて誠に申し訳ありませんでした。帰国後,事後研修があると聞いておりますが,今後のより良い活動の資料として皆様のご意見を頂戴頂ければ幸いに思います。 最後になりましたが,当クラプと横浜市青連という会と会の付き合いだけでなく,皆様個々が末永いメンバー同志の交流を続けられることを希望いたします。
 (タイ日親善クラプ代表)




暑い3月 バンコクそしていろいろな思い
(参加報告書より)

小 林 真由美


 「横浜パンコク青年交流」派達団員のアンケートから
  4泊6日(機内1泊)のスケジュールはとても短かったですか、とても充実していました。
 では、この私たちのタイ訪問のスケジュールを派遣メンパーの声も聞きながら、振り返ってみたいと思います。
                          
 横浜バンコク青年交流が89年に始まり,その後毎年横浜での受け入れに携わってきました。2年前には個人的にタイを訪れ,バンコクやチェンマイに滞在し,タイのいろいろな現実を見ることができました。その時にはこのプログラムを通して,知り合った友達にお世話になりました。
そして,今回二度目のタイ訪問は長年自分が携わってきた「横浜バンコク青年交流」プログラムの派遣メンバーの一員として実現しました。

 ■1日目■→→→→ 一路,パンコクヘ

 タイといえば,「常夏の国」,「美しいビーチ」,「スマイリング・カントリー」,「仏教の国」,「王様のいる国」,「ASEANの中でも工業先進国」などのボジティプなイメージから,「世界最悪の渋滞」,「公害」,「自然破壊」,「貧しい農村」,「エイズ」,「少女売春」などといったネガテイブなイメージまで様々です。これはどイメージが極端に分かれる国も珍しいのではないかと思います。
「ASEANの中でも工業先進国」
 バンコクにつくと海外の企業の多さに目を見張ります。もちろん,我が国日本からも多くの企業が進出しています。サンヨー,トヨタ,ニコンなどなど。私が会ったタイの人たちからは日本企業は比較的いいイメージでみられているようです。
ピジネスなのでこんなことを言うのは少しおかしいかもしれませんが,あまり利益の追求ばかりに走らず,その国に溶け込んで,両国に貢献してほしいものです。
「世界で最悪の渋滞」
 2年前私が訪れた時に比べて,少しはこの問題もよくなっているようです。日本を始めとするODAやタイ政府の予算から,高架道路を建設したので,バンコク中心部の渋滞が少し解消されてきているようです。
しかし,バンコク市内には日本のように地下鉄や電車がないため,この問題は彼らにとって,また旅行者にとっても頭の痛い問題です。政府は過去に海外から地下鉄の専門家を招いたりして,地下鉄建設を何度か検討したそうですが,これだけ大きくなってしまったバンコクに今から地下鉄を建設することは不可能ではないかとおよび腰で結局は実現しなかったそうです。

 ■2日目■→→→→ タイの青年たちと考える「戦争と平和」カンチャナプリ

 カンチャナプリといえば,映画「戦争に架ける橋」の舞台となったところ。枕木ひとつに一人の命が失われたといわれる泰緬鉄道の現場です。私は2年前にもここを訪れました。そこにある戦争博物館はとても小さく,ひっそりとたっています。
2年前訪れた時にもらった資料は日本語でしたが,ガリ版刷りのようなものでした。ですから,今年訪問する時にはワープロで打ったものを持っていって,現地に置いてこようかなと思っていたら,今年はきれいにワープロで作った資料を渡されました。この新しい資料は日本人でここを訪れた人が作ったのか,タイで日本語を勉強している人が作ったのかはわかりませんが,平和を願う人であることは間違いないと思います。
 中庭の展示物でひとっとても印象に残っているものがあります。“FORGIVE BUT DON,TFORGET”(許しなさい。しかし,忘れないでください。)刻まれていたのは確かこんな言葉だったと思います。許そうとする寛容さ,そして正しい歴史感を持つ重要さを教えてくれるこのメッセージは静かですが,とてもカ強く今も心に響いています。一般的に日本の歴史教育は不十分であると言われています。ですから,このような機会にもう一度歴史を振り返る必要があるのではないかと感じました。
「過去」があって,「現在」があるのです。戦争は今の私たちが起こしたものではありません。
しかし,「過去」を知らないために私たちが再び戦争を起こしてしまう可能性も持っているわけです。そして,アジアの隣人たちとのおつきあいで「過去」を知らないことは恥ずかしいことであるということに気がつかなければならないと思います。
暑い3月,このカンチャナプリでかつては敵対したこともある国の青年たちが「過去」を学び,「未来」に向けて,共に歩み始めようとしていることは大変意義深いことであると感じました。

 ■3日目■→→→→ ドキドキワクワク,タイで一番楽しみにしていたホームスティ

ホームスティはこのプログラムでメンバーが一番楽しみにしていました。対面式ではたくさんの期待とちょっぴりの不安を抱えていたメンバーの顔が印象的でした。さて,ではみんながホームスティ中に感じたカルチャーショックや気がついたことは何だったのでしょうか。
 お風呂/トイレ 雨戸がない
 子供(たち)が(両)親の手伝いをよくする
 携帯電話,パソコン,車などをたくさん持っている
 貧富の差が激しい
 食事の食べ方
 ホストファミリーではかなり裕福な家庭もあり,欧米系スタイルが生活に浸透しているようでした。しかし,ここはタイですから,タイにはタイの文化があります。
メンバーのほとんどがタイのお風呂/トイレの様式の達いにとても驚いたようです。タイの人たちが日本に来ると日本のお風呂に驚くのと同じですね。

 ■4日目■→→→→ ホームスティからフェアウエルパーティーへ

 滞在中に訪れた場所で印象に残ったところをメンバーに聞いてみました。(これからタイに行かれる方は参考にしてください。)
 ヤワラー(中華街)
 サンヂーマーケット
 エメラルド寺院  ワットルアン
 連合軍の墓地(カンチャナプリ)
 アユタヤ(タイ北部の古都)
 やはり日本とは異なる仏教のため,建築や美術に興味を持ったメンバーが多かったようです。
確かに,あの色使いには目を奪われてしまいます。しかし,これもまた地方によって色使いが多少違います。建築の地域比較はまたおもしろいかと思います。
 このほかおもしろいところでは,カラオケ,近所のマーケット,屋台などが印象に残ったという人もいました。カラオケはもうすでに日本の文化の域を越えた!という感じですね。日本の歌はかなりタイに入っているようです。その逆はどうかといいますと,日本でもここ数年レコード屋さんのアジア・ミュージック・セクションが随分と大きくなってきました。音楽に興味のある方はTOWER RECORDやHMVのアジア・ミュージック・セクションをチェックしてみるといいですよ。以外とタイのアイドル歌手の音楽があります。


 ■5日目■→→→→ 最後のしめはバンコク州知事訪問とライトミニッツ観光とショッピング?

 非常に短い滞在でしたが,メンバーのタイに対する印象は強かったと思います。それはおそらく日本のライフスタイルが欧米系スタイルになってきているので,アジア的なものが新鮮にうつったからではないでしょうか。メンバーのタイの印象はどうだったのでしょうか。
 活気にあふれている/混沌としている
 日本に似ている 懐かしい気がする
 大家族のあたたかさ
 貧富の差が激しい
 欧米式を広く採用しているが,自国の文化は保たれている(日本とは達う)
 ある部分ではタイは非常に欧米的です。しかし,また日本以上にアジア的なものを保っているのではないかと思います。では,アジア的とは何でしょう?多分,まだ発展の余地がありその中で人々が活気にあふれているということではないでしょうか。バンコクでは夜遅くまで開いているマーケットや屋台があります。その人たちが店を閉める頃,夜と朝の間に今度は野菜や日用品などを売る人たちがトラックに乗って,郊外からやってきます。バンコクは眠らない街なのです。
その人々のパワーにアジアを感じ,まだまだアジアはおもしろいと興味津々な私です。

 ■6日目■→→→→早朝,成田着

 日本に着いた瞬間,3月の肌寒さを感じ,急に現実に引き戻されたような気がしました。では,タイ訪問は夢のような出来事に変わってしまうのでしょうか?これからはどのようにしてタイと関わっていけばいいのでしょうか?あれは夢ではないということは確かです。リピーターになって,タイを訪れるのもよし。ホストファミリーと文通するもよし。「横浜バンコク青年交流」のスタッフをするのもよし。ただ,長くおつきあいをするならば,お互いの「過去」を知り,「現在」を尊重し,「未来」を考えていけるようにしたいですね。
 今度はいつタイに行こうかな?でもしばらくはお休みもないから,仕方がないけど,タイのレストランで我慢するしかないかな?マイペンライ!マイペンライ!